なぜインド料理を作ろうとおもったのか グルじり

インド料理を作り続けて20数年が経った。
最初はサラリーマンをやりながら、趣味で作り続けてきたが、
気が付けば南インド料理店を開業し、9年目に入った。

そもそもなぜインド料理を作ろうと思ったのか?
なんどり店主がその原点を掘り下げるシリーズ。

こんちは! お久しぶりです。
ついにきました! グルじり編です。
グルじりとは、2000年に、現「ケララの風2」オーナーの沼尻さんが、南インド菜食料理を世間に広めるために始めた、南インド料理研究食事会。
他のジャンルはわらかないが、インド料理に関しては、作って食べるこういった会は、このころは他になかったんじゃないかな。今ではいろいろなところで、こういった会があるけれども、ルーツをたどってみると、グルじりが発端になっていたりするのである。
このころ沼尻さんは、埼玉県上尾市に住んでいて、そこを拠点として、上尾スパイスクラブ、野草研究会の2つの活動をしていた。
このうち上尾スパイスクラブの活動では、本格的な南インド料理研究を目的としたところまでは行ってなかったと思われる。
そこで、今回サンサールで南インド料理に興味のありそうな多くの人と交流できたことから、本格的に世間一般に南インド菜食料理が周知されるようになるまで、料理研究食事会の活動をすることになった。
開催地域は、調理場がある公民館等の手配が用意なことから、沼尻さんの地元、上尾でやることになった。第一回の食事会には私は諸藩の都合により、参加できなかった。そのときの様子についてはメールで感想をもらったが、まだこの時点では、誰も南インド料理になじみがなかったし、カレーの延長で考えている人達が多かった。
参加者募集は主に、Yahooの「カレー大好き」という掲示板の主要メンバーをお誘いしたりした。
まだSNSやブログがない時代であったので、こういった掲示板のトピックを利用していた。
基本的に調理は沼尻さんが作って、他の参加者は下ごしらえを手伝うというスタイル。第二回のときは私も参加したけど、このときは調理はしないつもりだったが、ふと作りたくなって
最終的にはラッサムを作った。
この第二回のときに、食事会の名前を決めようということになり、グルマンの集まりだから、主催者の沼尻さんの尻の部分とあわせて、
「グルじり」と命名された。それと同時期に、ホームページも作られた。その名称は「南印度ジリ犬使い館」。これは沼尻さんが犬走が得意ということから付けられたように記憶している。
今後は主に、このグルじりのホームページに設置された掲示板などで行われるようになった。
今はもうこのホームページは無くなっているが、沼尻さんやグルじりに参加したことがない、初めて見た人には怪しすぎて、参加も躊躇するほどだったと思う。
まず、トップのページがギラギラしていて、怪しさ抜群である。
怪しい新興宗教じゃないのか、参加したら壺を売られる(笑)といった、雰囲気が漂っていた…のかもしれない。

一応Yahooの掲示板とか、その他の料理関連の掲示板などでも、新しくホームページを作りましたので、ぜひ来てくださいとお誘いして、徐々に人数が増えていった。
また、上尾開催だけだと、アクセスにしにくさ、参加人数の制限などから、もっと都心でアクセスのよい場所で開催するようになった。
それによって、多いときは50人とかになることもあった。
第三回以降は、私も作り手になって、沼尻さんと二人でいろいろと作っては、参加者の人に食べていただいた。
グルじりで作る南インド料理は、菜食料理なのでノンベジの料理を出すのは禁じられた。後に年一回だけ、沼尻さんの誕生日に開催されるときだけ、ノンベジを出してもよい日が設けられた。
食事会で作るものは、ミールスを主として、ティファンはワダとイドゥリは毎回作った。
参加者の中には、グルじりで初めて南インド菜食料理を食べたという人はかなりの数がいるのだが、正直このころの料理は、全体的に味に関しては、まだまだであった。中には味が良いものもあったけど、やはり全体としてムラがあったし、本当に美味しい南インド料理には遠かった。
それでも勢いや情熱が誰にも負けないぐらいあったし、とにかく作り続けて調理技術の向上の研究は常にしていた。
まだインターネットでもレシピや、youtubeによる実演動画等なかったし、洋書にたよるしかなかった時代である。各々が手探りで研究するしかなかった。
そのころからすると、今はyoutubeもあるし、良い時代になったものである。調理技術の習得は、今のほうが断然早く習得できる。
ただし、昔手探りでいろいろとやりながら研究したことは、後々活きている。自分で試行錯誤しながらやることが、固定観念に縛られずに、どのようにアプローチしたらよいのか、マニュアルからは得られないことをかなり習得できたと思っている。
とにかく南インド料理普及にかける情熱が凄かった。その情熱が参加者に伝わって、どんどん輪が増えていったのである。そしてそれは、一般参加者だけではなく、超有名なインド料理店のオーナーがお忍びで参加したりするほどにまでなった。また、このころからインドのIT産業が活発になって、日本に来日する南インドの人達が増えてきたこともあり、風のうわさで聞いて参加する人がとても多かった。
当初は東京を中心にやっていたが、地方でも調理できる場のアテンド、人集めをしてくれる人がいれば、日本全国どこでも開催もするようになった。そうしてさらに、グルじりの名前は広く周知されるようになっていった。
そうやって交流しながら、グルじりは何年もの間、精力的に活動していった。
その活動は、沼尻さんが「ケララの風」をオープンするまで続けられた。
その中でも特に忘れがたいイベントがある。
2005年1月9日に開催された 

100人ミールス!

当時のレポートを、なんどりのマダムが詳しくレポートしているので見てほしい。
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懐かしい。100人分の調理なんてしたことがなかったから、どうなるかと思ったけど、なんとかなってよかった。
特に大変だったのは、米炊き。家庭用のガスコンロだと湯取も大変です。人海戦術でなんとかこなした。

そしてさらにその2年後に開催された

200人ミールス!

このときの様子は、インド料理研究家の香取薫さんのレポートをご覧下さい。
場所は前回の100人ミールスをやった三件茶屋のキャロットタワー。200人一度に出すのは無理なので、100人づつわけて出しました。
今回も大変だったのは、お米炊きもそうだけど、2回に分けて用意すること。とくに後半が結構タイトだったような記憶がある。
しかしながら達成感はかなりあった。
と、グルじりについてはいろいろと想い出があるけど、これぐらいにしておこう。

とりあえず今回はここまで。

次回は…

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